2011.3.20 (SUN) - Before Holiday- Smith&Mighty & Jojo Mayer/Nerve in JAPAN |
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::Cast::
Smith&Mighty (bristol.UK) 1945 a.k.a KURANAKA (Zettai-Mu) Jojo Mayer's Nerve (NY) and more act @ sunsui Info tel: 06-6243-3641(sunsui) ADDRESS: 大阪市中央区東心斎橋1-12-20 心斎橋シキシマビル B1F WEB SITE : http://www.sunsui.net/ ◆TICKET INFORMATION ◆
TICKET SALE : coming soon ! |
★Smith&Mighty★ ロブ・スミスの音楽キャリアは80年代前半にギタリストとしてスタートしている。ザイオン・バンド(ブリストルで行われたレゲエ〜ファンク・ミュージカルの為に結成されたバンド)、レストリクションに参加し、それぞれEPを残している。そこには、ルーツ・レゲエというにはパンキッシュ、ニューウェイヴというにはヘヴィなボトム……という、この時代らしいブリストルの音が表現されている。 レイ・マイティはスウェットというバンドのキーボード奏者として活動していた。メンバーはロブ・チャント(スミス&マイティの多くの作品に関わっているギタリスト)、DJマイロの弟ポール・ジョンソンが在籍していた。1986年に、レストリクションを辞めたロブがスウェットのリハーサルを見学に行き、バンドに加入。“APOCALYPTIC”なファンクを演奏するが、バンドはほどなく解散してしまう。 シーケンサ−・ミュージックやビート、サンプリングに興味があったロブとレイのふたりは、それに合うヴォーカリストを探しながら共同制作を始める。 スミス&マイティとして活動を始めたふたりが、様々な試行錯誤の途中で残した音源に86年の「BRAIN SCAN」がある。これは、ブリストルの映像作家スティーヴ・ヘイリーとのコラボレーション的作品で、ON-U直系の攻撃的ビートとエフェクトの中にも現在のスミス&マイティに通じるメランコリアが潜む実験的な曲となっている。 また、この時期にふたりはワイルド・バンチ「THE LOOK OF LOVE」のライヴ・セッションに遭遇する。シンプルなマシーン・ビートの上をソウルフルなヴォーカルが乗ったこの曲を聴き、レイは「これだ!」と直感したそうだ。「これを自分たちのルーツであるレゲエな方向へ持っていけば」――そんな中で生まれたのがエリック・サティの「ジムノペディ」のカヴァー(マーク・スチュアートに買い取られ「ストレンジャー」となる)であり、「エニィワン」となる。 トラックの制作と平行して、ふたりは「スリー・ストライプ」というチームとして、サウンド・システムを運営していた。さらに同名の自主レーベルもスタートし、システムに出入りしていたMCやDJの作品をリリースしていく。レーベルとしての第1弾は、本CDにも収録されている「エニィワン」。ワイルド・バンチと同じくバート・バカラックの古典を取り上げた。 88年にリリースされたこのシングルは、ブリストルを飛び出し英国中でヒットとなる。スミス&マイティはワイルド・バンチとともに、“ブリストルの顔”として幾つもの雑誌や音楽新聞に紹介されていった。再びバカラックのカヴァー「ウォーク・オン」をリリースした後、メジャー会社であるロンドン・レコードと契約。スリー・ストライプの名は残しながら、ファルセット・ヴォイスのシンガー、カールトンをプロデュースし、同時に数多くのリミックス仕事をこなすようになる。ヴァージン・レコードからは、ふたりがプロデュースを手掛けたフレッシュ4(当時ティーンエイジャーのクラストやサヴ、フリンらがメンバー)がデビュー、「ウィッシング・オン・ア・スター」を大ヒットさせる。一方でスミス&マイティ名義のシングルもリリース、94年にはアルバムもリリースされるとアナウンスされ、全ては順調かと思われていたが、完成していたアルバムがリリースされることはなかった。 「悪い結婚生活のようだった」とロブが語る通りの契約期間を終え、彼らはすぐに新たな自主レーベル、モア・ロッカーズを立ち上げ、ロブとピーターによる同名ジャングル・ユニットの作品をリリースしていく。そして、95年に幻のアルバムのダブ/ネガといえる『ベース・イズ・マターナル』をリリース――その後は歴史である。 |
★1945 a.k.a KURANAKA★ JUNGLE、D&B、DUB MUSIC黎明期より、大阪・京都・東京のアンダーグラウンドシーンで活動。今や伝説のFESTIVALであるRAINBOW 2000をはじめ、FUJI ROCK FESTIVAL、朝霧JAM、METAMORPHOSE、といった屋内外のビッグフェスティバルにヘッドライナーとして出演。またレジテンツとしては、 ZETTAI-MU(大阪BAY SIDE JENNY,梅田NOON,難波ROCKETS,BLUE NILE)をはじめ、TIGHT、DRUM&BASS SESSIONS、京都METRO、恵比寿MILK、名古屋RADIX、福岡、広島、札幌、沖縄等のパーティーから山間や海辺、耳元やビルの隙間でもその音は共鳴し続けている。これまで1200を超えるギグと600を超えるパーティーを行っている。MUSIC CREATORとしての初期の作品は、MOUという名義でドイツの名門 『MILLE PLATEAUX(ミルプラトー) 』よりFUTURE BEAT MUSICの先駆け『ELECTLIC LADY LAND』にDJ SPOOKYやDJ VADIM達と並びクレジットされている。また、KURANAKA名義ではコンピレーション『響現』にCALMやSHING02達と共に参加。また、 1945名義では元DRY&HEAVYのベーシスト秋本"HEAVY"武士をフューチャリングした「DUBLE SIGNAL」を発表。MIX CDは、TIGHTのVOL.4&VOL.15を1945名義で煙突レコーディングスより発売。また、LIVE CDはこれまで全タイトルソールドアウトのセールスを築いている。REMIXERとしては、AUDIO ACTIVEやREBEL FAMILIA、ORIGINAL LOVE、JUN-GOLD(TBHR)等の作品を解体〜再構築しドープな世界を届けている。 |
★Jojo Mayer's Nerve★ 98年の春、ナーブはインテリジェントエレクトロニック/DJカルチャーに興味を持つニューヨークのミュージシャン達による、ライブ”エレクトロニック”ミュージックの新しいパラダイムのパイオニア的な実験的プラットフォームとして、 ジョジョマイヤーを中心にはじまった。 一度エレクトロニック音楽を分解、分析しデジタルプロダクションのテクスチャーとリズムをライブ演奏に再構築することが彼らのアイディアである。 ドラム、ベース、キーボード、サウンドプロセッシング全てを生演奏で行い、ループ、シーケンシング、プリプロダクションは一切使わずに全てのサウンド、そしてリズムはリアルタイムで作られている。 様々なエレメンツによるインスピレーションで進化しつつあるDJカルチャーの語法と、ジャズ的なインターラクションを利用したサウンドプロセッシングは普段スタジオ内で行われるが、ナーブは高いスキルとダイナミックでハイブリットなインプロビゼイションで演奏されたライブ演奏の方向性を作り出し、彼ら独自のサウンドを生み出している。結成して数ヶ月でナーブはNYのダウンタウンシーン/メディアにおいて大きな反響をよび、ナーブの演奏を中心にした伝説的な“Prohibited Beats”(プロヒビティッド・ビーツ)パーティーが生まれることになる。 2001年、ナーブはNYのホームベースを飛び出しヨーロッパのクラブ/フェスティバルでの活動を開始する。さらにバンド単体のみならず“Prohibited Beats”としてもパーティーを行い、多くのカルト的なファンを集めている。 ライブ演奏による予測の着かない、ユニークでその場だけのライブ体験を目指し、スタジオレコーディングを行わなかったが、長年の多くのファンからの要求によりNY, Berlin, Zurich にてインターナショナルツアーにおいて発展してきた様々なマテリアルをスタジオ内で実験し始める。 ナーブ独自のオリジナルコンセプトになるべく留まる為、全てのレコーディングはプログラミングなどを一切使わずにライブ演奏されている。 これらの初期のレコーディングと2010年の新たなレコーディングは、今ついに”Nerve/Prohibited Beats”としてリリースされた。 ナーブのメンバーはジョジョ・マイヤーの他、ダブエンジニア(リアルタイムオーディオディコンストラクション)にローリー・モシマン(フェイスノーモア、ニューオーダーなどのプロデュース、そしてNYの伝説的ノーウェイブバンド 、”スワンズ”のドラマー)、キーボード/トランペットに中村卓也(マリアンヌ、オルガニックグルーブスのメンバー、さらにアート・リンゼイ、ブラジリアンガールズ、ヴィニシス・カントゥリアのサポートなどでも活躍)、ベーシストにジョン・デーヴィス(デンジャー・マウス、ザ・ブラックキーズ、ブラックロック、ジェームス・イハなど著名人との多数プロジェクトを手がけ、自身とパートナーが経営するブルックリンのザ・バンカースタジオにおいてプロデューサー/エンジニアとしても活動中)と多才で世界的に活躍するミュージシャンで成り立っている。 |
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